明治時代の終わりに世界一の輸出量を誇った日本の生糸は戦後衰退の一途をたどっています。しかしながら2014年6月に富岡製糸場が世界遺産に登録されたことで、近代日本の製糸業の歴史に再び光があたりつつあります。
当研究会の発端は速水堅曹の次男、卓爾のひ孫の嫁である故速水美智子の2002年頃から始まった速水堅曹に関する調査研究です。以下に2005年以降の活動の概要を記します。
2005年、速水美智子は群馬県が前年に立ち上げた「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」の会員になり、数名の会員と共に分科会「歴史ワーキンググループ」を作り速水堅曹の調査研究を行いました。この活動が後の速水堅曹研究会の前身になります。
翌年2006年、速水会員は速水堅曹の自伝『65年記』を発見、月に一度の例会ではこの自伝と日記『履歴抜萃』を読み解き、彼の事績を明らかにしてきました。堅曹の和歌や漢詩を集めた詩歌集『一本の糸』(2012年)を刊行、また、富岡製糸場の世界遺産登録(2014年6月)に合わせ彼の日記と自伝を現代語に訳した『生糸改良にかけた生涯』(2014年)を刊行、速水会員個人も研究の集大成といえる『速水堅曹資料集』(2014年)を同時期に刊行、堅曹の知名度アップを図ってきました。
また、2007年5月に川越の妙善寺で堅曹が造った速水家3代の墓を発見し、その偉大さを知ることができました。
2014年6月、富岡製糸場の世界遺産登録を機に歴史WGの目的を継ぐ形で2015年4月、新たに「速水堅曹研究会」を立ち上げました。代表は速水美智子で歴史WGからの続きで小林春樹.西塚晶彦、新たに遠藤誠が加わり、都合4人のメンバーで研究活動を開始いたしました。
例会は月に一度で、この中で随時見学会や調査も行いました。2017年2月には堅曹が多く関わった下川又左衛門の子孫宅を松平家当主等と訪問いたしました。速水代表は会発足以降、前橋シルクサミットでの活動、講演、前橋商工会の書籍執筆など研究の一環として多様に活動いたしました。
会全体の動きとして一つは、堅曹や甥の遠藤鏘平の関わった明治2年のイタリア公使一行の視察旅行の一員であるピエトロ・サビオの視察記、翻訳本コピーを2016年1月に速水代表が入手したのを機に、以降関連する調査を行いました。またイタリアとの関りを持ち、2018年9月にはイタリアのトリノで行われた生糸の展覧会の招待を受け3人が参加し、併せて現地調査も行いました。
もう一つの動きとして2019年1月以降、速水堅曹に関わった周辺親族の調査とこれに関する書籍出版に多くの時間をかけました。しかし2020年2月からコロナによる例会の休止、2021年8月には速水代表が他界するなどアクシデントがあり作業が思うように進みませんでしたが、当時会の顧問で在られた東京外語大学名誉教授の内海孝氏の助力を得て、2023年2月に前橋学ブックレット33号として『速水堅曹と親族』というタイトルの本を上毛新聞社から刊行することができました。
2024年3月現在、例会は行っていませんが、会員同士の情報交換は行っており、随時調査も行い、研究は続けてゆきたいと思っております。
〒349-1103 埼玉県久喜市栗橋東6-21-23 TEL 090-5409-2704(小林)
メンバー:小林春樹 西塚晶彦 遠藤誠