富岡製糸所長時代の速水堅曹。速水壽壯氏所蔵
富岡製糸所長時代の速水堅曹。速水壽壯氏所蔵

私たちは、日本の製糸業の近代化を推進し、富岡製糸所長を務めた速水堅曹のすべてを調査研究しています。


速水堅曹(はやみけんそう)

製糸技術者・農商務省官吏・富岡製糸所長

1839年(天保10)6月13日~1913年(大正2)1月17日


速水堅曹ゆかりの地

川越城本丸御殿
川越城本丸御殿
二本松霞ケ城址公園にて(研究会メンバー)
二本松霞ケ城址公園にて(研究会メンバー)
藩営前橋製糸所跡の碑
藩営前橋製糸所跡の碑

富岡製糸場 繰糸所
富岡製糸場 繰糸所
富岡製糸場 東置繭所
富岡製糸場 東置繭所


本の紹介

前橋学ブックレット33号

速水堅曹と親族

企画 前橋学ブックレット編集委員会

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2023年2月、定価 600円 税別



前橋学ブックレット27号

藩営前橋製糸所とスイス・イタリア

企画 前橋学ブックレット編集委員会

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2021年8月、定価 600円 税別



日本絹の里紀要 第20号

企画 群馬県立日本絹の里

発行 群馬県立日本絹の里、発行日 2018年3月31日

「日本で最初の器械製糸所をつくった速水堅曹の活躍」速水美智子p.18〜26



製糸(いと)の都市(まち)前橋を築いた人々

前橋商工会議所 創立120周年記念

編者 前橋商工会議所 

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2018年3月7日、定価 4,000円 税別

速水美智子執筆 第2部人物紹介、第3部「明治2年イタリア公使一行視察旅行 前橋のおもてなしとその後」



川村家の記録 Ⅵ―寄稿集―

編集者 川村朝夫 川村敏夫

発行 川村家、発行日 2017年12月1日

「大嶹商舎の出発と速水堅曹」速水美智子 pp.64-69



前橋学ブックレット12号

シルクサミット in 前橋 ―前橋・熊本・山鹿・宇都宮・豊橋―

企画 前橋学ブックレット編集委員会

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2017年10月11日、定価 600円 税別



富岡製糸場世界遺産登録2周年記念

世界遺産講演会 報告書

編集者 富岡市

発行 富岡市、発行日 2017年3月



前橋学ブックレット8号

速水堅曹と前橋製糸所―その「卓犖不羈」の生き方―

著者 速水美智子(速水堅曹研究会代表)

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2016年8月25日、定価 600円 税別



前橋学ブックレット1号

日本製糸業の先覚 速水堅曹を語る

企画 前橋市文化スポーツ観光部文化国際課 歴史文化遺産活用室

発行 上毛新聞社事業局出版部、発行日 2015年3月29日、定価 600円 税別



速水堅曹歿後百年記念出版

速水堅曹資料集-富岡製糸所長とその前後記-

編集 速水美智子、解題 内海孝

印刷・発行所 株式会社文生書院、発行日 2014年9月3日、定価 8,200円 税別



官営富岡製糸所長 速水堅曹

生糸改良にかけた生涯-自伝と日記の現代語訳-

現代語訳 富岡製糸場世界遺産伝道師協会 歴史ワーキンググループ、現代語訳 代表 速水美智子

発行 飯田橋パピルス、発行日 2014年8月28日、定価 1,800円 税別



旧官営富岡製糸所長 速水堅曹 詩歌集

一本の糸

編纂 富岡製糸場世界遺産伝道師協会 歴史ワーキンググループ

発行 私家版、発行日 2012年5月10日





論文『群馬文化288号』掲載

速水堅曹自叙伝『六十五年記』の発見

著者 速水美智子

編集・発行 群馬県地域文化研究協議会、発行日 2006年10月31日



ブログ「堅曹さんを追いかけて」

先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父である速水堅曹に恋をしてしまったのです。

速水堅曹にまつわるお話や研究会の活動を綴ったブログをご紹介します。

写真:速水堅曹資料集よりの転載
写真:速水堅曹資料集よりの転載

高祖父速水堅曹を追いかけて 〜速水美智子さんに聞く〜

堅曹は 1839(天保10)年、現在の川越市に川越藩松平大和守家臣・下級武士の家に生まれました。27歳まで川越で生まれ育ち、幕末に藩主とともに前橋へ。住んでいたのは県立川越工業高校と川越街道の間にあった下級武士の長屋でした。父を10歳で亡くし、家督を継ぐも藩校には通えず、近所の同じ下級武士に論語や算術を習いました。13歳で初めて川越城へ登城します。「狸番」と呼ばれる川越城の夜警としての勤務でした。16歳の時に川越藩が幕府から割り当てられた品川沖お台場の警護で、当時の最新の大砲を持つ訓練に参加、川越藩主の実父であった幕府の海防参与、徳川斉昭より「一段のことなり」とお褒めの言葉をもらいます。自分が仕える藩主の「お目見え」もまだかなわない16歳の堅曹にとってこの体験は大きな励みとなり、新しい技術への関心も高まったことでしょう。(速水家7代200年にわたる悲願であった「お目見え」は、明治に改元直前、堅曹が29歳のときでした。)

 

堅曹の生糸ビジネスのスタートは横浜での生糸売込問屋「敷島屋庄三郎商店」の開設でした。開港後爆発的に売れていた「マエバシ」の生糸で藩の財政を立て直そうとしたもので、海千山千の前橋の生糸商人たちをまとめあげたのは速水 の手腕のなせる業でした。同じく横浜で外国商社から日本の生糸の価格表を見せられた速水は、その価格の安さに驚きます。上司の深澤雄象とともに前橋藩を説得し、スイス人技師を前橋に招き、彼から直接製糸の技術を学びました。そして日本最初の器械製糸所になる藩営前橋製糸所を開設いたしました。英国商社「英一番館」のジャーデイン・マセソンから、資金提供や共同経営の提案がありましたが、それを断り、対外自立を守りました。ジャーデインとは汽船購入の件で裁判も起こしています。

 

また、開場から7年たった富岡製糸所は赤字が累積しており、困った伊藤博文に頼まれ第 3・5代の富岡製糸所長として手腕をふるいました。大久保利通、岩倉具視らの信頼も厚く富岡製糸所を速水に払い下げる案も検討されていたことがありました。後に政府から富岡製糸所の廃場案が出ますがそれに対して堅曹は断固反対し、官営最後の所長として富岡シルクの名声を再度高め、黒字経営にして三井家に払い下げを見届けました。 

引用:川越・前橋・横浜 絹のものがたりフォーラム2020年  藤井美登利(NPO 川越きもの散歩・さいたま絹文化研究会)